本格的な住宅ローンの借り換え

昔ならば、世界的な建築家になるには、まず国内をクリアする必要があった。 A・Wは住宅ばかりの段階から、個人的なネットワークからダイレクトに海外に出かけ、展覧会を通じて認知度を高めている。
そうしたプロセスには、新しい息吹が感じられる。 日本と海外の距離も、大きく変わっているのだ。
若手建築家の住宅設計についてのシンポジウムで、T本由晴と共にパネリストを担当したときのことだ。 遅刻して会場に到着した彼は、自分はまさに遅れてきた建築家であると自己紹介した。
セカンド・オーダーの建築家だという。 どういうことか。
つまり、自分が建築をはじめたときには、もう建築の方法論はほぼ出尽くしており、すでに都市の施設もほとんど整備されていたという意味である。 とすれば、戦後の焼け野原から日本の復興と歩調をあわせたT下建三のような巨匠は、最初に大きな枠組みをつくるファースト・オーダーの建築家になるだろう。

実際、不可逆的な東京の大改造は、オリンピックの開催された1960年代に進行し、首都高速が登場した。 また実現しないものでも、K川紀章やK竹清訓など、当時の若手建築家は、メガストラクチャーのプロジェクトを競うように提案している。
高度経済成長の最中にあり、伸び盛りだった日本が、建築家に求めた将来への輝かしいヴィジョンだった。 建築家は、そうした時代の雰囲気を敏感にとっていたのだろう。
日本列島改造論も叫ばれた。 1990年代に入り、大型の開発は厳しい批判にさらされている。
反映してか、若手によるアンビルトのメガ・プロジェクトは少ない。

1960年代の生まれの建築家は、ニュータウンが次々と誕生し、郊外団地を原風景として育った世代である。
破壊された日本の風景を知らない。 それより上の世代であれば、自らが近代化に加担しながらも、失われた風景を懐かしいと感じ、近代化の行き過ぎを批判して、風景の修復に転向するかもしれない。
例えば、日本設計のI田武邦は、60年代末からKビルなどの超高層を手がけたが、70年代に考えを大きく変え、90年代は長崎のハウステンボスのプロジェクトを通して、自然の復元を試みている。 だが、若手建築家はとり戻すべき自然をリアルに感じられない。
あらかじめ故郷が失われているからだ。 遅れてきたものという認識は、若手の建築家による都市への態度にもよくあらわれているのではないか。

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